コマンド入力型ADVの魅力





コマンド入力型ADVとは、の項目でも少し書きましたが、なんといっても魅力的なのは
ほとんどの作品でリアルなあたまの使い方がメインに据えられていることです。
ここで言うリアルなあたまの使い方というのは、多少前述しましたが、つまりその場に
自分がいたならどういう行動をとるか、どういう行動をとれと示唆されているかを考える。
ということです。皿があったら割るのか、飾るのか、盛りつけるのか、それを考えるのです。
裏に描かれた謎の数列や記号を集めて、アルファベットや数字に直すのではありません。

例えば、海岸に出たとします。そこに主人公がいて動かせるのであれば、右や左に行って
反応のあるオブジェクトを探しますが、コマンド入力ADVではまず右や左に動いて即解決
するようなことはまずありません。そもそも右や左に行けないことの方が多いです。
ではどうするのか、考えてみましょう。

前に行こうとしても「海です。歩いては行けません。」的なコメントが返るばかり。
右「そちらには行けません。」左「そちらには行けません。」挙句のはてに
後ろ「あなたは冒険を諦めてかえりました。GAMEOVER」です。

そこでどうするか、じっくり考えるわけです。自分が、海岸にいたならどうするか。
画面から得る情報も重要です。砂浜であれば砂浜を見ます。自分が砂浜に立った時、
何ができるかを考えます。砂浜ということは砂がある。じゃあ砂を触ってみようか。
砂を掘ってみようか。砂をとってみようか。たかが海岸の画面一枚に対して、このように
多様に考える楽しみがでてくるわけです。

まあ親切な作品であれば、「見た」ときに「海岸が広がっています。砂浜のようです。」
くらいは言ってくれると思いますが、もしもそのようなコメントがなかったとしても、
自分がその場にいたらどうするかを考えまくれば、自ずと答えは出て来ることが多いです。
海があったらどうするか。そのまま行くのか。行けなければ泳ぐのか。いやいや海かどうか
確かめるために舐めてみるのか。水中を覗いてみるのか。道具を探して釣りでもするか。
計算や暗号によるパスワードは、ある程度の経験やひらめき、計算や記号に対する
インスピレーション、ともすれば計算力などが必要となりますが、多くのコマンド入力ADV
において必要となるものは、あくまで日常生活において使うあたまのひねりかたなのです。

まずはいろいろやってみる。見る。調べる。取る。投げる。食べる。泳ぐ。飛ぶ。あげる。話す。
自分がとれると思われる行動を、とにかくとって試すことができる点において、コマンド入力ADVは
限りなく自由なのです。この自由こそが、無限に広がる想像の中で、それぞれのプレイヤーの中に
それぞれの冒険を作り上げてくれる、重要な要素であるのだと思います。

ただ、コマンド入力型ADVが全盛期だった頃に登場した作品の中には、そりゃねえよと
いう理不尽なコマンドを要求するものも多々あったようです。ふつうに生きててそりゃねえよと
いうコマンドになると、もうお手上げなのがコマンド入力型ADVの弱点であると言えるでしょう。
そんな知識ふつうないよ??とか。それどこの常識だよ??など。また、なんでこの単語で
反応なかったのに、ほとんど同じようなこっちの単語だと反応があるんだよおお。
ということもよくあります。

そうなるとリアルな思考力というよりは、ゲームに対する単語探しというにらめっこに
なってしまうので、臨場感は薄れてしまうかもしれません。しかも考えに考えたすえ、
最後の最後にようやく探し当てた単語が
「ああー!これかー!なんで今まで思いつかなかったんだ!!」であれば幸いですが、
「あっそう…なんだそれ…作者の都合以外考えられんな」の時は最高に不幸です。
これは他の形式のADVにおける謎でも同じことが言えますが、コマンド入力型ADVでは
顕著な[良作]と[クソゲー]の分かれ目であると言えるでしょう。

作者としては、単なる単語探しに陥る可能性のある言葉をコマンドに秘めた時、
この単語を探し当てた時にはぜひ前者であれと少なからず思うものだと思うのですが、
どちらかというと後者の方が、理不尽が許容されていた時代のなごりとして多い気が
するのもまた事実です。ただ、それはそれで楽しみようがない訳ではありませんし、実際当時の
楽しみ方としては辞書とにらめっこというものが主流であったようですので、良し悪しの感じ方は
遊ぶ人それぞれということになります。

また、これはコマンド入力型ADVに限りませんが、当時のゲームの特に重要なポイントは
シンプルなグラフィックです。機能や技術、容量の問題で当時はそうせざるを得なかったのだと
思いますが、これは失われた不便による利の一つであると思います。ここから先は非常に個人的な
好みの問題ですが、もともとゲームのグラフィックというものは、凝れば凝るほど想像の余地が
失われていくため、シンプルであればシンプルであるほど好ましいものです。ドット絵などは、
シンプルがその本質を失わないまま、高いクオリティを追求できた稀有な存在であると言えます。

もちろん素晴らしい技術によるCG、3Dを鑑賞するという楽しみを否定はしません。ゲームの大事な
要素の一つであると考える人は多いでしょう。実際多いからこそ、最近のゲームではほぼ必ずと
いっていいほど、素晴らしいグラフィックが用意されているのだと思います。これはもはや
シェアウェアである限り、破れない壁となって我々をガチガチに囲んでいる制約だと思います。
しかし当時、および現在のフリーゲームではその制約がないおかげで、その壁にはばまれることなく
シンプルにシンプルを極めたグラフィックを楽しむことができます。操作性や爽快感、戦術性を求める
ゲームであればともかく、「あたま」を使って考え抜くことが楽しいコマンド入力型
(には限らないかもしれませんが)ADVにおいて、シンプルなグラフィックはむしろ必要不可欠な
要素なのです。ドットや単純な線で描かれた画面に、自分が何を想像し見出すのか、それこそが
楽しみとなるのであれば、想像の余地を奪う凝ったグラフィックはとんでもないことです。

小さなドット絵で描かれた、顔もよくわからない女性であれば、「明るくにこやかな美女です」
との説明さえあれば、もうこれは自分の中で最高に美しく明るくにこやかな理想の女性を
思い浮かべることができます。巨乳です。太眉です。しかし技術によって瞳、マユゲ、鼻と詳細に
描かれてしまうと、もうその女はその女でしかありません。自分の好みでなければ、
やる気は半減です。この辺はあくまでも私の場合の話です。

黒一面の部屋、必要最小限の白い線で描かれた家具、外殻だけが描かれた風景。
自分が今openするものは、自分が思うdoor。どこまでも意識の世界で想像を構築していく楽しみ、
これがシンプルなグラフィックでこそいきるコマンド入力型ADVの魅力ではないでしょうか。

ながながと申し上げてしまいましたが、要は[リアル・自由・シンプル]これが、コマンド入力型ADVの
代表的な魅力だと私は考えております。以上、ながながとくだくだしい文章ではありましたが、
少しでもコマンド入力型のステキをお伝えできていましたら、大変幸いに思います。




コマンド入力型ADVとは

フリーソフトのコマンド入力型ADVのレビュー


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怒涛のいきおいで
流れゆく時代に疲れ
ふと立ち止まり振りかえったとき

古びた街並み、
夜の奥へ伸びていく石塀
切れ切れなネオン看板

そんな風景が
懐かしくなったなら
いつかの懐かしい記憶へと
いざなってくれる
コマンド入力型ADVへの
doorをopenしてみてください

きっと昔懐かしい空気に心が満たされ
なんともいえないせつない充実感に
脳汁が溢れることでしょう

あなたの心の夜空にも
ぽっかりといつかの月が空くことを
お祈りしております


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